カンボジア日記

江崎 節子

2001年2月5日

今日、いよいよカンボジアに向けて出発。

6日

バンコクで一泊。早朝六時から朝食。その後チェックアウト、空港に向かう。いろいろあって無事プノンペンに到着。シスターの出迎えにほっと一安心。久し振りに出会うシスター、プーティー、みんなみんな懐かしい。町の様子は去年よりもお店が増えて、賑やかになったような気がする。昼食後ミーティング。予定が色々変わったが、みんなで考えて最善の予定を組み立てた。幼稚園の見学もさせてもらえることになった。幼稚園は、135人の子供、三年保育。英語と、算数、デザイン、理科を教えることを目的としている。時間は、7時30分から午後3時まで。両親が働いているため、この時間になる。幼稚園、専門学校、全学宗教を教えることは出来ない。仏教国なので政府がそれを許していない。子供達から質問があれば、答えることは出来る。とシスターテレーザは言った。日曜学校でイエスのことを話したら次の時には出席しない学生がいたとのことだ。ここテックタラーの寄宿生(専門学校生)は地方の子供が多く、地方の子供のほうが宗教教育はしやすいとのことだった。プノンペンの子供は宗教教育は非常に難しいようだ。ミーティングのあと、学園内を見学する。うさぎを飼ったり、豚を飼ったり、(もちろん食用)昨年とは違った様子に驚く。畑も充実している。本当に急に進歩したといった感じ。町ではインターナショナルな料理がもてはやされれいるようで、シスターはできるだけいろいろな料理を教えてほしいと言っていた。澤さんの出番だ!夕食後ドミトリーの子供とダンス、バレーボールを楽しむ。本当に楽しそうに清らかに笑う子供達の姿に心が洗われる。歓迎会では昨年会った子供、先生と出会い、嬉しさが込み上げてきた。ここに来たかった。明日からはハードになりそうだが、自分の出来ることを精一杯したいと思う。

 

7日 

6時20分からミサ。朝食後トゥールコックへ向かう。幼稚園の様子を見学させてもらう。ここは4歳児、5歳児のクラス編成。月謝が払える家の子供は払っているが払えない子供も子供は払っていない。5年前に幼稚園を始めたときは売春宿に勤める子供を養成する幼稚園だと思われていたらしい。石を投げられたりしたこともあったようだ。朝は朝礼に始まり、体操をした後、それぞれのクラスに入る。カンボジアの幼稚園は日本の小学校に似ていて時間割があり、授業を行っている。午後は、江崎が幼稚園の先生方に日本の保育の紹介をした。今日はペープサート。生徒4人。10人と聞いていたのでびっくり。とにかく始める。絵の具を使うのが始めてとのことで思ったより時間がかかり、今日のプログラムはこれでおしまい。

8日 

朝食後8時30分に出発し、私と里実ちゃんはトゥールコックの幼稚園に、澤さんと、シスター2人は買い物に行った。幼稚園は2人で存分に楽しんだ。昼食後教材指導。ペープサートをつくった。昨日とは違ったメンバーだったので今日もまた絵の具と絵筆の使いかたがわからず時間がかかった。福島シスターは畑に種を蒔いていた。

9日 

朝から専門学校の学生が歓迎会をしてくれた。クメールダンスは本当に女性らしくて美しい。幼稚園の子供達もダンスを披露してくれた。リズム感は良いのであるが、音楽は今ひとつ。子供らしくない。まあ、いっか。そして、またまた予定変更。午前中幼稚園を見学するつもりだったがドンボスコスクールの見学が入り、午前中はそちらに行くことになった。昼食後、教材指導。今日は先生方の仕事の都合で、2時30分までの指導となった。今日は折り紙をした。なかなか喜んでもらえてよかった。

10日 

今日は幼稚園指導最後の日で、カードと誕生表の製作をした。切ったり貼ったりは得意らしく予定よりも早く進み順調だった。今日は全員の先生が参加し無事終了した。こちらの先生は指導者のやったものと同じようにする事がよいと思い込んでいて独創性は感じられないが、やる気はあるので非常にたのしみだ。昨年の保育よりも先生の感じが優しくなったようなきがする。昼食は澤さんがおそばとお漬け物とおにぎりを作ってくれ、大好評だった。シスターがたもおおはしゃぎで「日本のレストランにきたようだ。」と言ってよろこんでいた。

11日 

今日は、日曜日。教区の教会にミサに行く。非常に大勢の人にびっくり。マザーテレサの修道会のシスターや、ドンボスコの修道士さん、昨年幼稚園の先生をしていいた人(彼女は高校をまだ卒業していなかったらしく、今、高校に通って勉強してしるらしい。)に出会う。その後、オラトリオを見学させていただく予定だったが何故かシアヌーク宮殿に。昼食は銀河という日本食レストランに視察のために行った。シスタールース、プーティー、私達の総勢7名。お寿司、天麩羅、狐うどん、山菜うどん、焼きうどん、湯豆腐、かつ丼、さんま定食、どれもだしが効いていないので、しょっぱい感じだった。さんまはぱさぱさだった。でも、これたのんで80ドルちょっと。日本人にしては安いがカンボジアの人にとってはとても入れる店でないことはたしか。途中で停電になったり、ハプニングはあったが、澤さんが日本料理を教えることによって、この店に生徒が雇ってもらえる可能が出てきたのではないかと思い、うれしくなる。午後はベトナム売春村に行く。ベトナムの若い女の子が400人以上働いているとのこと。村に一歩は入ると異様な空気に包まれている。顔を真っ白に塗った女の子たちが6〜10人ずつ小屋の中にいる。それを男たちが品定めをしている。全く頭にくる光景だ。日本人らしいの若い男もいた。私達が振り向くと顔を隠した。絶対日本人だ。ビデオに収めようとしたら走って逃げた。絶対日本人だ。でも、ヨーロッパ人らしき人たちは堂々と女の子をひざに乗せ堂々としている。全く救いようがない。帰り際11歳の女の子が買われていった。彼女は毎晩毎晩買われているそうだ。まだ顔を隠したり、逃げたりするほうが救いようがある。でも、行為は許されるべきものではない。ナーバスになる。夕食は、澤さんがお好み焼きとそうめんをつくってくれた。またまた大好評だった。

12日 

今日、午前中料理教室の買い物に行った。私達と、料理の先生、計4人の参加となった。華僑のスーパーマーケットは紀伊国屋そのものであるがオルセーマーケットの汚さ臭さは昨年同様凄いとしか言いようのないのもだった。オルセーマーケットで料理講習会の食器を買い求め(おおいに値切りまあまあ安く買うことができた。)その後靴屋で偽物のプラダを買った。みんなご満悦だった。その後、ホテルの日本料理屋に行く。料理の先生は車に酔って「行きたくない。」と言っていたが結局行くこととなり、みんなで食事をした。昨日の「銀河」よりもだしが効いて居ておいしかった。クメール人はすこしづつ残すのが作法らしくプーティーも残していたし、先生も残していた。鍋焼きの鍋が割れて大騒ぎしたり、昨日は停電になったりと日本料理屋はアクシデント続きだった。午後は私と澤さんは留守番をし、残りの三人でミッショナリオブチャリティのシスターがたの修道院と、イエズス会の地雷の被害を受けた人達の訓練所に行った。留守番2人はシスタールースの手伝いをした。明日から澤さんの料理講習会がはじまる。夜、運転手のプマリーの子供と遊んでみんなかぶれた。日本人は肌が弱い。

13日(澤さん談)

今日も快晴。今日から料理教室。カンボジア入りして一週間後やはり年を取ったのか、さすがにあさ、食欲がない。ルースシスターがどうしてそんなに食べないの?」と心配そう。彼女はいつも天使のように優しい。今年の料理教室は1年生が8時30分から11時30分、2年生が1時から4時の3時間講習。家庭科室も改装されて広くなったしテーブルも増えた。異常気象だそうで昨年より涼しいし時間もたっぷりあるし余裕をもって教えることができた。一年生は昨年同様一番だし二番だしの取りかた、だしまき卵、肉じゃが、ごはん、味噌汁、それに加えておひたし、さばの味噌煮、二年生はグレードアップメニューの炊き込みご飯、かきたま汁、さばの味噌煮、しょうが焼き、焼きナス。両学年ともチュガンニ(とても美味しい)だった。特にさばの味噌煮は好評だった。意外だった。やはり魚食文化の国だからかな?特に二年のクラスは全員知った顔なのでいろいろ聞いてくる。あげくのはてに来年日本語教室をやってくれと言う。あんたたちはもう卒業するでしょ。と言うとクメールティチャーが「日本人先生が来たときにカンバックアゲイン」といっていた。英語日本語共に上達している少女たちの向学心に怠りの罪を感じる。アーメン。P.S.今晩オプリニーが帰ってくるらしい。

14日(今晩も澤さん談)

一年生、てんぷら、揚げ出し豆腐、お好み焼き、ふりかけ、酢の物、そうめん、梅干、二年生。くしかつ、トンカツ、浅漬け、ひじき煮、雑煮。両学年とも相変わらず爆食。修道院の厨房のお姉ちゃんは今日の午後も来て学んでいく。時間がない彼女にとっては貴重な授業だ。去年の一年生の4人が今日本にいるらしい。(Sr.ルイザ談)多分安藤さん(もちろんニックネーム)も行っているのだろう。新井、油を吸い込みすぎ、倒れる。ちょっと風邪ぎみ。そして福島シスターはやっと苗を植える畑をもらった。そして、私を除くみんながコンポンチャムにいく。

15日 

今日は午前中澤さんを除く4人はコンポンチャムに出掛けた。澤さんを置いていくこととなり私としては心苦しかったが澤さんは「大丈夫」とのことだったので行くこととなった。トゥールコックの高級自動車と運転手に連れられ私達一行はコンポンチャムに向かう。一時間半の道程の中カンボジアのカンボジアの風景は満喫した。到着すると、オプリニーの授業の間私達は外で近所の家に遊びに行った。床の抜けそうな家に行き、二人のシスターはおそるおそる歩いていた。勿論わたしもおそるおそる歩いた。竹の床で本当にあっという間に抜けてしまいそうだ。でも、ここで7人が暮らしていることを考えると案外丈夫なのかもしれない。その後、生徒と近所を廻った。すごいほこりで頭からまっ茶色になった。帰ってきた私達をみて澤さんはその汚さにとても驚いていた。(ここから澤さん談)今日のメニュー、一年生。のり巻き、手綱寿司、海老の握り寿司、白玉。二年生、かつ丼、牛丼、天丼、親子丼、海老と蟹かまの握り寿司、海老しんじょうのお吸い物、あんみつ。わさびはかなりの苦手、テイスティングする度すごい顔。今日で日本料理も終了。まあ、だめだったことはないかな。日本料理は好評だった。12時半近くになってコンポンチャム隊が帰ってきたが、部屋に入って来た江崎と里実は浮浪児かと思った。聞けば車の席が狭く、荷台に移動したらしい。ランチの時院長様が「二人の卒業生が来たが父親はエイズで既に亡くなり、母親も行方不明、現在家もなく食事もままならない為、非常に痩せている」と報告しにきたのをルースシスターがイタリア語訳して教えてくれた。ちょっと食事が喉を通らない。今日、夜、水がでなくなった。まいった。

19日 

アンコールワットから無事プノンペンに帰ってきた。みんなでビデオを見ておおうけした。澤さんのテーブルコーディネートは順調に進みゴージャスに仕上がった。お昼にパリミッション会のセミナリオに昼食に呼ばれた。さすがおフランス。家中を案内され、おなかが減った。そして、料理はやはりカンボジアランチ。ソムローアンドバイ(汁と、ご飯)だった。セミナリオの料理は最悪だった。そして、明日からの料理の買い物もし、なんだかんだ忙しい一日だった。モナコ(澤)は体中蚊にやられまいっている。ポベリーナ〜。 

20日(澤さん談)

今日のメニューは一、二年生とも水餃子。チャーハン、春雨のスープ、マーボなす、一年生チリソース、二年生ホイコウロウ、いずれも大爆食だった。ノートもよく取る。教える方はうれしいかぎり!そして今日はオプリニーの誕生日、チキンカレー、マメカレー、チャパティーを作った。作っている最中びっくり仰天なことがあった。台所の片すみで少女二人がゴーフルを焼いているのでメレンダかと思い近付いたらホスチアだった。日本のせんべい状態のホスチアはきらいなのでこの機械を持って帰ろうと思う。(重くて無理だろう)

21日 

今日は澤さんの料理教室は学校の都合により午前中、1.2年とも1時間半ずつ計3時間だった。今日はベトナム、フィリピン、タイ料理だった。メニューは生春巻き、トムヤンクン、春雨サラダ、アドボの4品。「午前中だけだったので疲れた。」と澤さん談。やはり大爆食で、一年生は二年生用の春雨をすっかり食べてしまった。彼女たちの食欲はとどまることがない。食べ過ぎだっちゅうのっ!そして、午後は400年前、こちらに渡ってきた日本人の村(キリシタン迫害の時)に行った。ポルポトの時代に教会も村も破壊されあとかたもないが、お墓の跡と教会の跡が残って残っていた。フランス人のパードレと一緒に行った。フランス人は静かだ。私達はうるさい。ところで今日からSr.稲川とSr.古川がカンボジアにやって来た。

22日 

今日で料理教室もおしまい。今日はフランス料理。両学年ともにムニエル(なまずの)、グラッセ、ビシソワーズ、ラタトゥーユ、クレープシュゼットの5品。一年生はあいもかわらず大爆食。最終日なので澤先生がありがたい話をしているのに食の本能にまかせてたべまくっていた。午後の授業の前に先生がたからアプサラーをいただき皆御満悦。さっそく部屋に飾る。午後の二年生たちは大泣きとなり私達もみんな大泣きとなった。その後は杉良太郎とそれを取り巻くおばさんのようになり、みな写真を撮ったり、キスをされたりと大騒ぎだった。まいった、まいった。そのあと、貧しい生徒の家を訪問した。昨年訪問した家は大変狭く、臭いもひどかった。今日訪問した家は、そんなには狭くないが子供の数が多く大変貧しい様子。学校に来ている子供たちのなかでも貧しいい家の子供らしい。週末に5キロのお米とサーデインの缶詰を持たせると言っていた。学校にいかせるのも食事をとらせることを目的に送り出しているということだ。カンボジアのシスターがたの働きには本当に感動し、自分の生き方を考えさせられた。

23日(澤さん談)

今日はラウラビクーニャキャンプの日。お陰様でミサが9時からだったので7時まで良く寝た。8時に朝食にいったら私達3人の皿しか残ってなかった。朝食をとってミサに行く。キンダーガーデンのホールでトゥールコックの生徒を交えてのミサ。プマリー(運転手)の2番目の娘が飽きてしまったのでだっこしてやったところ、ルースシスターがデジカメでとってテレビジョンにつないで後から見せてくれた。基本的なものがないのにデジカメなんかをもっているからびっくり。またルースシスターが「この子をひきとって日本につれていかない?」と言う。欧米ではよくあることだが日本ではかなりムズカシイ。ミサ後、直子から預かった支援金を銀行で換金し、オルセーマーケットでござ、ボールペン、ボールを買った。昼食はシスターマリコスがリゾットを作り(本当は子供たちと食べるはずだったが)食後、稲川シスター、江崎、澤以外のメンバーはトゥールスレーンへ。江崎はキャンプ中の学生の所へ遊びに行った。澤はレッスン終了後疲れがでたせいか、3時まで爆睡。3時からドンボスコスクール(サレジオ会)神父様の為の夕食会の準備にかかる。アドボ、親子丼、カレーを作る。フィリピンの神父は、久しぶりにアドボを食べたと喜んでいた。5時半出発の予定が、帰国したキャンドット管区長との会議の為6時半になる。スクールでは1年前に料理教室で教えた子供に思いがけず会えたので良かった。家に戻るとキャンプ中の生徒が異様な盛り上がりだった。以上。冷蔵庫からビールを拝借し、今日は早く寝ようといってももう11時だ。おやすみなさい。

24日 

今日はカンボジアのリゾート、コンポンソムに出かけた。真っ青な空と海。カンボジアの新たな一面を見た。コンポンソムのドンボスコスクールには澤さんの教え子が働いていた。感動の再会だった。

25日 

本当に色々なことがあった3週間が終わった。シスター方、子供達、出会った全ての人たちに感謝してカンボジアを発った。